●パンのお話  10 フランスパン

1954年、フランス国立製粉学較の教授レイモン・力ルヴェル氏がフランスパンの紹介と技術指導を目的に初来日しました。
それから1 0年後の1 9 64年、フランスから輸入された小麦粉と製パン機材のデモンス卜レ一ションのために、フィリップ・ピゴ氏が来日しました。
その後、日本のパン文化は飛躍的な発展をみせ、本格的な『フランスパン』が根付きました。

●パンのお話  9 戦争とパン作り

第一次世界大戦に入ると、町や村では男手不足からパン作りのためにミキサーや〈※〉モルダーが昔及しました。
しかし、この頃のパンは材料の品質にこだわることはできませんでした。
大戦が終結するとフランスは製パンにおいて急速な発展を遂げました。フランスパンのおいしさを知らしめる道筋が出来上がったのもこの頃です。また技術の紹介だけではなく機械の輸出も本格化し、北ヨーロッパ、日本に渡りました。

※モルダー パンのガス抜きと成型作業をするための機械。

●パンのお話 8 パンの近代化1

20世紀に入り、生活水準はますます向上していくのに対し、「パン」は食事の脇役へと押しやられていきます。
パン屋さんの競争は、ますます激しくなり酸味の効いた自然種よりイーストによる香りや味か好まれるなど、消費者の嗜好も変わっていきました。
商業的な発展に対し技術の近代化か停滞した頃でもあります。

●パンのお話 7 家庭から商用へ

1872年、フランスに初のイーストエ場かてきました。この頃から安定性・輸送性・保性に優れた「イースト」の利用が噌えたそうです。

1890年頃になると農村なとてもパン作りは各家庭の主婦からプロの手にゆだねられ、パンは買って食べるものといった存在になっていきました。
また、酒場ではサンドイッチが出される様になったのも、この頃だそうです。

●パンのお話 6 パン・ヴィエノワ 一ウィーンからきたバンー

19世紀の初め、フランスのナポレオンは軍隊の士気を上ける為、良質のパンの確保に必死でした。
当時、オランダ、ドイツでは既に「製パン用イースト」を使いパンを製造していましたが、フランスではまだ自然種を、使っており、大都市のパリでも「ビール酵母」や輸入した「イーストを補足している程度でした。
そんな時、ウィーンからきたパン職人が自然種を一切使わないパンをパリで紹介しました。食感が軽く、上品な味わいのパンはたちまち大評判となり、ウィーンから来たパン「パン・ヴィエノワ」と呼はれ、一時代を築きました。

●パンのお話 5 量より質へ

18世紀のヨーロッパは、慢性的な食料不足に陥りました。
の為、パンの価格もどんどん上がり、怒った市民が 暴動を起こします。これが1774年の「小麦戦争」です。 その後、1793年に小作人が領主にお金を支払う 制度が廃止され、パン職人達は量より質にこだわった パン作りをはじめました。
18世紀後半には化学の発展にともない、農業・製粉 技術・小麦の品質も向上し、柔らかく軽い食感の パン作りへと進んでいきます。 「パンの学校」もその頃に、できました。

●パンのお話 4 パンの法律

4世紀後半、ローマ帝国滅亡後、パンはキリスト教徒と共に ヨーロッパ各地に広まったと言われています。
しかし、それは教会や修道院・領主といった権力のもとに 管理されていました。 フランスでは、630年の「パンの販売に関する法律」から 始まって8世紀頃には、「パン屋の設置場所」「パンを焼く 日」「パンの形」など厳しく規制されていたそうです。
そんな法律が、今の日本に無くて本当に良かったですね。

●パンのお話 3 リッチなバンかできるまで

紀元前800〜400年頃、醗酵パンはギリシャに伝わり ました。ギリシャ人たちは、ぶどうの汁を元に天然醗酵母種を 自由に燥り、小麦の他に大麦・粟・卵・牛乳・パター・ チーズ・オリープ油・乾燥果実などを使った、嗜好的な パンも作る様になりました。 また、パンを焼く窒も改良され、パン作りが専門的な 職業として確立されたのも、この時代です。
そんな大昔の人たちも、私達と同じようなパンをすでに食べていたんですね。

●パンのお話 2 醗酵パンはエジプト生まれ

パンの原料、小麦が栽培されたのは紀元前8000〜7000年頃。 最初は小麦を粒のまま炒ったり、お粥にして食べていました。 それか6000〜4000年頃になると、粉にして水で溶き、薄くのばし て焼く無醗酵の平たいケーキとして携帯や保存の効く姿に なり、これかパンの原点、になりました。
紀元前3500年頃のエジプトでは、ある時焼き忘れたパン生地 に暑い気候が醗酵を招き、偶然にも現在のような醗酵パンか誕生しました。 パンは役人の報酬(今のお給料)にあてられたり、葬祭に供えられたりもしました。

●パンのお話 1 カンパニュー

当店の店名にもなっております「カンパニュー」のお話。 昔、ヨーロッパ地方の村々では、主食であるパンを月に一度、 村にある共同の大きな窒でみんな一斉に焼いていました。 みんなで一斉に1つの窒で焼くので、誰かどのパンだったか わからなくなってしまします。そこで形・穴きさを変えたり、表面に傷をつけ目印にしました。 フランスパンにある切れ目(クープ)は、元々日本の家紋ような役目かあったんです。